「カオルちゃん、大丈夫?」
女の人の声で気が付いた。しばらく眠っていたらしい。渡辺さんがそばにいて、私はさっきの楽屋の中で毛布の上に寝かされていた。モデルの子やスタッフの人たちは誰もいなくなっていて、賑やかだった撮影中とはうって変わって静寂が漂っている。
私はまだ、メイドのワンピースと白いエプロンを身に付けたままだった。カメラの前に立たされて、いろいろなポーズをしたり、スカートを自分でたくし上げたりして、たくさんの写真を撮られたのは、すべて夢だったような気さえする。
「ちょっと貧血を起こしたみたいね。疲れたでしょう? 車で来ているから、送っていくわ」
私の服は全部、最初に衣装が入っていた袋の中にまとめられていた。私はのろのろと起きあがると、丈の短いワンピースを脱いで、自分の服に着替えた。
「カオルちゃん、肌きれいよね」
ふたりきりの楽屋でいつの間にか渡辺さんに見つめられていて、思わずドキッとした。
「今日はごめんなさい。ご迷惑をおかけしてしまって」
車の中で私は渡辺さんに謝った。初仕事でこんなことになるなんて、本当に申し訳なかった。昨夜、睡眠不足だったのがよくなかったのかもしれない。
「いいのよ。でも、よく頑張ったわね」
幸いにも私が倒れたのは、ほぼ撮影が終わってからだった。結局、もう一人の女の子はスタジオに現れなかった。
「ルーズな子は困るのよ。携帯にも連絡がつかなくて。もう彼女にはやめてもらうわ」
私の知らないその子は、現場に平気で遅れて来たり、直前にキャンセルをしたりするので、手を焼いていたのだという。
「その代わりカオルちゃんは頑張ってね」
そんなこと言われても、私なんか……。
「この近くなんで、そこの交差点の手前でいいです」
「お疲れさま」
渡辺さんは車を止めた。一瞬目が合ったと思うと、次の瞬間にやわらかな唇で私の唇はふさがれていた。あまりにも突然のことで、声も出なかった。甘い香りが鼻腔《びこう》をくすぐる。
「カオルちゃんは可愛いから、この世界でもやっていけるわよ」
そんなの嘘だ。みんなに言っているに違いない。
「失礼します」
私は助手席から降りて、早足で歩き出した。彼女の唇の感触だけがいつまでも残っていて、胸が苦しくなった。