規定集の改訂作業で残業。今日中なんて言い切っちゃったから三時間も残ってしまった。あー、あと二日働かないとお休みが来ないなんて。鬱々としてエレベーターに乗り込むと「あの人」が乗っていた。チョコ王子だ。私に気付いてないみたい。ていうか覚えてないよね。どうしよう。心の準備ができてなかったから挨拶もできない。ああ、なんで今日? なんで今? もう一階に着いちゃうよう。その時、私のお腹が鳴った。「グー」ああ、もう最低。
「今日はチョコ持ってないの。残念」
背後から、声がした。私のこと覚えてくれていたんだ。
「あの、こないだはありがとうございました!」
そういって振り返ると、王子はあの、笑顔で私を見た。
「こんばんは。残業ですか?」
「は、はい」
彩乃、行けっ! がんばれ!
「あの、こないだのお礼をしたくて。あの、お食事でもいかがですか?」
どうしよう、言っちゃった。
「そんなチョコくらいで、結構ですよ」
あっさり断られた。そうだよね、当たり前だよね。しゅん。
「あー、でもお腹すいたから軽く食べましょうか。ワリカンで良ければ」
私がよっぽどへこんだ顔をしたからだろうか、王子は前言を撤回してくれた。一歩前進! やったあ!
会社を出てすぐ横のファミレスに入ることにした。王子は待つことがキライだそうだ。
「ほら、料理もすぐ出てくるからお腹すいてる人にはいいでしょ」
そういっていたずらっぽく笑った。改めて自己紹介をする。
「藤井物産の松田《まつだ》彩乃と申します」
なんで社名まで言っちゃったんだろ。あがってる?
「えっと、WT&Cの深山千晴《みやまちはる》です」
あのWT&C? 超優良企業だ、すごい。私の友達の中でいちばん賢い子が行きたかったけれど採用されなかったっけ。王子はサラダしか頼まなかった。無理して付き合ってくれたのかな。それとも少食? ダイエットの必要はなさそうだし。私がサンドイッチを食べるのを見て千晴さんが笑った。
「松田さんはおいしそうに食べるね、お腹すいてきちゃった」
「深山さんもオーダーすればいいのに。何か頼みましょうか」
そういうと王子はきっぱりと言った。
「いや、ウチで彼女が待ってるから」「あっ言っちゃった!」
そうだった、この人にはカノジョがいる。でも、あまりにオープンなので、なんと返事してよいかわからず固まってしまった。
王子が私の顔を見て心配そうに覗き込む。
「ごめんなさい、驚かして。そういう訳で私レズビアンなんだ。カレシじゃなくてカノジョ、びっくりした?」
「いいえ、知ってます。六本木でお見かけしました」
「うわっ、どこで誰に見られてるかわかんないね、気をつけよっと」
王子はおどける。
「お二人ともきれいでした」
そうだ、私はショックよりも美しくて見とれていたんだ。